海のむこうに


 インドへの手紙


 オーストラリアを離れて僕が最初に有紀からの手紙を受け取ったのは、1ヵ月半後インドのカルカッタでだった。
 カルカッタに向かうことはオーストラリアを出る前に有紀に書いた手紙に書いておいた。カルカッタにはその4年近く前に、あのマザー・テレサの「死を待つ人の家」にボランティアとして訪れたことがあった。僕はこの場所をどうしてももう一度訪れてみたくて、ヨーロッパに向かう途中に必ず立ち寄ろうと決めていたので、有紀にはカルカッタのジェネラル・ポスト・オフィース宛に手紙を送れば、まず間違いなく受け取れるだろうと知らせておいた。
 長旅をした経験のある人は分かると思うが、移動を始めてどこかの国で自分宛の手紙を受け取ることは、孤独からの回帰という意味からも本当に嬉しい事で、各国の主要都市のジェネラル・ポスト・オフィースには同じようにして送られてきた手紙が沢山溜まっている。僕達はパスポートを提示してその山の中から自分宛の手紙を探しださなければならないのだが、これはけっこう楽しい作業であり自分宛の手紙を見つけた時の嬉しさといったらなかった。

 「ショウさん元気ですか。生きてこの手紙を受け取ってくれて読んでくれていれば、もうインドまでたどり着いてるってことですよね。久々のインドはどうですか?そこまでの道中なにかいいことはありましたか?」
 こんな文面で始まっていた有紀の久しぶりの手紙は、女の人からの手紙ということだけで、味気ない旅を続けてきた僕にとってチョッとだけだけど心をときめかすものがあった。
 「今この手紙を書きながらつくづく不思議だなあと思っています。私はここにいて毎日同じような雰囲気の世界でありきたりの生活を繰り返しているのに、あなたは海のずっと向こうのどこかの国で、私がここで見てる同じ太陽や星を見ながら、同じ時間にまったく違う世界を歩いているんですね。それが凄く不思議なことに感じられてなりません。」

 僕はサダル・ストリートのブルースカイ・カフェの一番入り口に近いテーブルに座り有紀からの手紙を読んだ。
 この店は6畳ほどの長細い店内に粗末な木のテーブルと長椅子を置いただけの店で、店の入り口側のカウンターに唯一文明的に感じられるたった一台のミキサーを置いて、このミキサーで作ったフルーツ・シェイク、ロキスィーと呼ばれる飲み物や、フルーツにプレーン・ヨーグルトを掛けたものなどを出していた。
 だけど正直言って衛生的な先進国から初めてここに来た人間には、少しばかり出されたものに口を付けるには勇気が必要だったかもしれない。水を出してくれるコップはすぐそこの道路脇の決してきれいとはいえない井戸水を使って洗っていたし、果物と一緒にミキサーに掛ける氷なんて地べたに置いた湿らせた麻の袋に入れてもたせていたからだ。
 勿論いくら衛生的な世界から来た人間だって、この国で生きていこうと思えば一週間もすればこれくらいの事は気にしていられなくなる。行き着くとこ出されるものが旨ければそれでよくなるわけだ。だからこの地区に滞在する外国人旅行者には、このカフェは息抜きの場所として大変人気があった。

 僕は前回訪れた時もそうだったが、サダル・ストリートのこの目と鼻の先にあるサルベーション・アーミー(救世軍)を常宿にしていた。少し先にある有名な安宿ホテル・パラゴンなどに比べると少し割高だが、お好みに調理してくれるタマゴ2つが付いたイギリス風の朝食と、英国風のこざっぱりした雰囲気が気に入って前回は長期で滞在した。それにマザーのところにボランティアに来ている連中もここには多く滞在していたので安心感もあった。
 僕は毎日好きな時間に起き出して朝食を取ると、決まってブルースカイ・カフェの前にある床屋に顔を出していた。1回5円程度でシェービングしてくれて簡単なマッサージまでしてくれるのでついつい癖になってしまっていた。
 その床屋の親父がさっきからチラチラこっちを見て首を横に向けるインド風の挨拶をするので、僕は手紙を読みながらうざっとく思えていた。下手にこちらが反応でもすれば手招きをされてつまらない話に付き合わされるのが落ちだからだ。

 「もう少しで私もオーストラリアを離れて一年になろうとしています。本当に早いもんですね。そして、もう少しであれほど以前は楽しみにしていた結婚生活が始まろうとしています。だけど・・・。最近なんだか真剣に結婚だけでなくいろんなことに対してこれでいいのだろうかと考えるようになりました。
 私の婚約者は知ってのとうり一流の会社の商社マンで、自分でもこんなに素敵な人はいないと思って、帰国、結婚を決めたつもりです。この人について行きさえすれば、これからの人生は幸せなんだと・・・。自分勝手に幸せな将来像なんかも想像してました。でもねショウさん・・・。」
 有紀という子はこれまでの人生のほぼ半分を海外、それも白人社会で過ごしてきた人だ。プライベートな面でもビジネスの面でも、個人の意見と個人の個性が真っ向から否定されることなど考えられないところにいた。自分の意見をストレートに出しても同じようにストレートに返してくてるのが普通で、社会や人に対して中途半端な態度や意見が価値を持つ事などなかった。ところが日本という社会や日本人に同じことを望むとなればそれは厳しいことだ。オーストラリアを有紀が離れる時、後に残った我々が有紀の将来に不安を感じたのは、有紀が日本社会に順応して自分を変えていく事が果たしてできるかという点だった。

 何事も仕事優先で自分は婚約者にとって二番目の存在に置かれる憂鬱。家庭内の仕事どころか身の回りのことまで有紀に頼って、何も自分からしようとしない婚約者の生活態度。それから仕事先で受ける女性偏見や蔑視。かと思うと仕事に対して野心や野望すら持ち合わせない大多数の日本女性。街中で見る子供を連れた親の不甲斐ない態度。公共の場での荒れたモラル。落ち着きのない社会と何を基準として考えているのかわからない意識と感覚。
 この1年の間に有紀なりに受け入れようと努力しても、もうどう自分をごまかせばいいのかわからない。そんな悲壮な感じの手紙になっていた。
 1年前、有紀を見送った僕達は、「こおなるんじゃないの。」って、他人事だから笑って勝手に想像して話したことがあったが、それが当たってしまったことが残念であり少しそれがショックだった。有紀の持つ凛とした美しい態度と時折見せるはにかんだようなかわゆい態度が僕は好きだった。あのイメージで僕はいつも彼女を思いだしたかった。




 「インドという国は、この国を初めて訪れた時、この国を好きになれる人と、そうではなくまったく拒否してしまう人、いずれかに分かれると聞きました。僕はどちらかというと前者の方だと思っています。だってこの国に居ると正直色んなしがらみから開放された気分になれるからです。
 実は今泊まっているサルベーション・アーミーにフランス人でミッシェルという奴がいて、こいつはオーバー・ステイをしてる上に凄くマリファナ好きで、毎晩ハッシシを吸っては飛んでるような奴なんだけど、普段の性格は温厚で優しくて大変物静かな男です。ある夜タバコに巻いたハッシシが回って来て、彼のサービスだったもんでそれから友達になって話すようになりました。ミッシェルと話してるとね何故だかいつも話が哲学的なものに変わっていくんだ。というよりもこの国にいると何でも哲学的な匂いのする話に結びついてしまうもんだから、行き着く答がいつも我々の小さな島国の俗世間にある観念では見切れないものになってしまいます。時には不思議に思えることがあり、時には皆で腹をかかえて笑い転げることもあります。

 そのミッシェルがどうしていつまでもこの国に留まってるかというと、彼曰くインドに暮らすと心が開放されるからというんだよね。この国にいると何に対しても構える必要はないというんだ。これは今僕もそう思っていることで理解できます。
 勿論僕だってこの国に初めて入った時は、悪い話ばかり聞かされていたものでインド人に対してガチンガチンに身構えてたものだよ。それでもカルカッタの飛行場に着いたのっけから両替で騙されるは、市内に向かうバスの女の切符売りに騙されるは、僕自身が無知だったから緊張して構えてないと何をされるかわからないと最初は思っていたものです。
 不評の未知のインド人に対する不信感と、未知のこの国に対する恐怖感がそうさせたんだろうね。

 でも不信感や恐怖心は、少しばかり自分が利口になりさえすれば解決される問題なんです。その一番の方法は一日も早く自分がインド人と同じ精神レベルになり行動パターンを真似ればいいわけです。これはいつもどんな国に行っても心がけてることなので僕にとっては難しいことではありません。
 そして自分が街中の雑踏の中で浮き上がらない存在に思えた時、やっと本当のインドが見えてくるようになるもんです。
 この国ではどんな汚い格好をしてようが、何を着てようが、路側に寝転がってようが、誰も気にも留めません。日本にも街中に同じような風体の浮浪者はいるよね。もしかしたら彼らは誰からも置き在リされて孤独だと思っているかもしれないけど、だけど日本の社会の場合本当はどこからか誰かに見られているですよね。残念ながらその多くの視線は軽蔑の眼差しでだとおもいますが。でもインドの場合雑踏の中で佇んでいる自分がたとい日本人であろうと、この外国人がどんな汚らしい格好をしてようが、彼らの目に自分は映っていないとはっきりと感じられるんです。
 わかりますか、宇宙のなかにポツンといる自分を実感できる瞬間が。

 手紙を読む限り今のあなたに必要なのは、もしかしたら今僕がいるこの世界なのかもしれないね。
 日本人の固定観念とオーストラリアで暮らしてきた君の観念がぶつかり合うのは仕方のないことだと思います。勿論僕は君の味方になりますよ。島国の中のご都合主義でこねあげられた固定観念なんてまったくくそくらえですからね。
 だけど君が理想を述べたり或いはごく一部の人が理想を述べても、それが単なる理想論に過ぎず行動を伴ってないということはないですか。
 僕は1978年に初めてアメリカに行きました。この時僕が最もめげたカルチャー・ショックはなんだったかというと、アメリカに降り立ったのっけから見た女性達のパワーでした。空港内のシャトルバスの運転手は女性で、グレイハウンドという長距離バスの運転手にも女性がいて、大きなコンボイのトラックの運転手に女性がいて、街中を巡回するバリバリの警官にも女性がいました。
 日本でウーマン・パワーとやらが叫ばれて久しい頃だったので、日本女性の姿とアメリカの女性の姿をダブらせて、やっと自分の住む社会にある問題のひとつの答が見えた気がしました。

 有紀さん。今の君は婚約者や社会や周りの人達に対して地団太を踏んでるんだろうね。たぶん僕も日本に帰国すれば同じような状態に陥るんだと思う。
 実は君がオーストラリアを離れた後で、篤史やナオミ達と果たして君は日本に帰ってうまく生きていけるだろうかって話したんだ。君がいなくなった後なので皆勝手なこと言ってたけど、結局は君のように真っ直ぐな性格のうえに、欧米社会を知った後で帰国してあの国で暮らすことはもの凄く大変だろうって、皆が同じ意見でした。だから僕としては来るべき時が来たって感じで君の手紙を読んだし、これから君がもしこのまま日本で暮らすのなら、今の自分を曲げずに自分が正しいと思うものを貫く自信があるのか知りたいと思います。
 僕がアメリカや諸外国で見て、触れて、衝撃を受けたものは、君ならわかると思うけど、これまでに彼ら自身がモーションを起こして何かをした。その結果があるに過ぎないのではないですか。
 今の君の心の中に僕がインドで感じるような小宇宙を見つけてください。そうすればゆきずまった時逃げ場所になるかもしれません。それ以上のことは何も僕にはできません。

 さて今回のインド滞在は前回とまったく目的が違うので、マザーの死を待つ人の家はちょっとだけしか覗きません。それでも4年前に来た時にいたヨーロッパからのボランティア数人が、あれからずっと居続けたと聞いたときには、驚きよりもむしろ自分の人としての小ささの方を痛感しました。
 4年前も今回も同世代の日本人の旅行者の中には、ここに来ているボランティアに対して必要にボランティアの意味、意義を尋ねてくるものがいます。そして中には一方的に自己満足、エゴと決め付けてくる者もいます。欧米から来ている連中はボランティアに対しては好意的なのに、日本の若者からこういった言葉がでることに失望します。あなたや僕が生まれた国は、どこかで何かをなくしてしまっているようです。

 これからヨーロッパに向かいます。うまく入国審査を通過できれば来月の終わりにはオランダにいると思います。
 ただこれから先の道のりは僕にとって全くの未知の世界での行動になります。知り合いもなく当ても無い僕にとってはこれからが正念場になるでしょう。全てが決して楽なものではない覚悟はできてるつもりです。それでも僕に運さえあれば生き残って次のステップを踏み出せると信じています。
 また手紙をくれますか。よかったら手紙はアムステルダムのジェネラル・ポスト・オフィース宛に送ってください。」

 追伸。
 「こちらに向かう途中通過したマレーシアのクアラルンプールの夜の屋台で、ピーターというオーストラリア人と偶然知り合いました。君が働いていたシドニーの会社で同僚だったピーターです。これからタイを歩いた後で日本に行って君を訪ねると言ってましたからもう訪ねているのかな。本当に偶然で驚きました。」
 宗教色の匂いがプンプンするマレーシアは、我々にはあまり人気のある国ではなかった。街の方は近代化が進みつつあるのだが、我々に必要な安宿や魅力的な場所は本当に少なく、僕はただ単にヨーロッパに飛ぶための安い航空券をペナン島で買うためにこの国に入った。
 ピーターと偶然出会えたのも、結局はクアラルンプールに我々外国人にとっての行き場が少ないためで、その中でも屋台は個人旅行客にとっては数少ない憩いの場で、ピーターが日本人慣れしていて声をかけてくれたからだった。

 付け加えるならもともとペナン島は香港やマカオのような特例区だった所で、一時はバンコクと同じように安い航空券が手に入る場所として個人旅行者が集まってきたところだったが、バンコクのマーケットが巨大化したことで中心はバンコクに移ってしまっていた。それでもチャイニーズ・タウンの華僑の旅行代理店ではディスカウント・チケットが手に入るので、クアラルンプール発の航空券を買うために、僕はわざわざクアラルンプールから夜行バスに乗って一晩かかるタイ国境に近いペナン島まで往復したのだった。
 確か僕はあの時往復で約3千円位バス賃に使った記憶があるが、それでもメリットはあった。

 「もしピーターが今日本にいるのなら、これから君にとって良い相談相手になってくれるのではないでしょうか。そうあってほしいと願っています。彼によろしく。
 インド・カルカッタにて。」
 



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